鹿追発祥之地

史跡No.21 鹿追発祥之地

 明治35年に山田松次郎がクテクウシ原野(現在の下市街、紅葉橋の下流付近)に入地してから20年後の大正10年4月1日に北海道告示177号により母村音更村から分村して鹿追村が誕生しました。

分村問題が起きたのは大正6年から7年にかけて加藤熊太郎、三好沢一、高田宇三郎、丸山徳太郎、森内清吉、伊藤栄一郎らの提唱によるもので、特に加藤熊太郎はその代表的な人物として活躍したと伝えられています。
※参考資料
眼で見る郷土史(碑とその周辺) 鹿追町図書館所蔵

地図

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