大島亮吉顕彰碑

史跡No.127 大島亮吉顕彰碑

建立の目的と経緯
 登山家の大島亮吉が鹿追を訪れたのは、大正12年。この時は鹿追が音更村から分村して2年あまりであり、当時の鹿追が記されている書物は非常に数少ない。彼の記述は当時の鹿追の様子を知ることができる貴重な資料である。郷土研究の重要な資料となる鹿追の開拓期の様子を今の世に残したこと、この地域の眺望の良さについて著作を通じて全国に伝えて、それがその後の観光振興につながったことから、鹿追町郷土史研究会が広く呼びかけてその趣旨に賛同した人々で大島亮吉記念事業実行委員会が組織され、多くの方の寄付と関係機関の支援・協力により平成22年に顕彰碑が建てられた。
 この碑の前に立ち、十勝平野の北の果てに聳える山々を見ると、広大な大地のスケールを感じられる。駐車場があるので、時々車を停めてゆっくり眺めてみるのも一興である。
 すぐそばに、とかち鹿追ジオパーク推進協議会による山々等の解説板もあるのであわせてご覧いただきたい。

大島亮吉

略歴
 明治32(1899)~昭和3(1928)年。登山家。東京生まれ。
 大島亮吉は大正から昭和初期に登山家として活躍した。28歳の若さで登山中の事故で亡くなる。その活動の中で北海道を訪れたのは大正9年と12年。若くして多数の著作があり、国内の名峰について数多くの登山記を遺している。彼の著作、『山―研究と随想』等は日本の山の名著として数えられている。登行・筆力が高く評価され、その早すぎる死が惜しまれた。
大島亮吉と鹿追とのかかわり
 大正12年、この地を訪れた。然別川上流のシイシカリペツ川、鹿追町瓜幕(当時は『売幕』と表記されている)から然別沼(当時の表記で、今の然別湖)へと、道なき道を行くその旅程についての紀行文『北海道の夏の山にて』を大正13年に発表した。

大島亮吉についての資料

鹿追図書館所蔵本のご案内

鹿追町図書館に設置された大島亮吉についてのコーナー

・『大島亮吉を偲ぶ』
 【大島亮吉記念事業実行委員会 平成22年10月2日 発行】
 鹿追町の実行委員会でまとめられ、発行された。
・『山 研究と随想』
 【大島亮吉 岩波書店 昭和50年10月14日 刊行】
・『山―随想―』
 【大島亮吉 中公文庫 昭和53年5月10日 発行】
『北海道の夏の山にて』が収録されている。
・『日本の山の名著 総解説』
 【近藤信行/編 自由国民社 1984年6月4日 発行】
・『覆刻 日本の山岳名著 解題』
 【日本山岳会/編 大修館書店 昭和50年10月14日 発行】
 など
 (書名や発行日等は、本の表記による)

地図

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